※下記の内容は全て2004年の参議院選挙時のものです。現在のサイトトップはこちら
足立力也へいわ本舗
ADACHI RIKIYA HEIWA HONPO
みどりの会議
プロフィール 平和をつくる政治 コスタリカ イベント情報 へいわ本舗のご案内 TOPへ
プロフィール
足立力也に30の質問
著書の紹介
こんな私に誰がした?!〜コラム
Ricky's Photo Album

こんな私に誰がした!?
 袖摺りあうも他生の縁。人との出会いには、必ず何か意味があります。これまで出会った人たちによって、今の私が作られてきました。ここでは、これまで私 と縁あって出会い、私を形作った人びとを紹介したいと思います。
1.中学の社会の先生
2.コスタリカ共和国・大統領秘書官
3.カレン・オルセン・デ・フィゲーレス
4.中学校の先生たち 〜善玉・悪玉・非暴力〜(最新)↓ NEW
vol.4
4.中学校の先生たち 〜善玉・悪玉・非暴力〜

 私は中学2年のとき、生徒会長をやらせてもらった。そのとき、制服を変えようという話が生徒の間から持ち上がった。普通の学校なら、そんな話はすぐに先生たちからつぶされてしまう。しかし、この学校はひと味違った。
  生徒会はまず全校生徒にアンケートをとり、それを集約して制服改正案を作った。それを先生たちに一度あずけた後、生徒代表と先生代表で話し合いを持つことになった。長テーブルを並べ、お互い向き合うようにして、対等な立場で話し合いを持ったのである。そのとき、結構意地悪な先生もいて、たとえば「靴を自由化するというが、じゃあ下駄でもいいのか?」などと言われることもあった。話し合いに慣れていない私たちはそこで詰まってしまうのだが、後で生徒会担当の先生が「そういうときはこう言えばいいじゃないか」などとフォローしてくれるのである。
  今思えば、善玉と悪玉がコンビ?になって、私たちに「話し合いで物事を決めるときの方法論」を教えてくれていたのではないかと思う。つまりは、民主主義のやり方ということだ。

 これは、コスタリカに行って、教育現場を見たときに、ふと合点がいったことだった。
  コスタリカの教育では、「自己決定」を非常に重要視する。自分たちで物事を決定し、実行し、検証するということだ。
  たとえばこれは算数の授業でもそうである。先生が「1たす1は2ですね。では2たす2は?」と生徒に聞くと、生徒は「3」とか「4」とか思い思いに答える。が、先生に答えるのではなく、ほかの生徒に同意を求めているのだ。発言者は、同意を得るために、なぜ「3」あるいは「4」なのかという説明をしなければならなくなる。「1の次は2で2の次は3でしょ。で、1たす1が2なら、2たす2は2の次の3じゃない?」とか、「2たす2ってのは、1たす1たす1たす1だから、4でしょ?」とか、思い思いに自分の意見を述べるわけだ。そうすると、ほかの生徒からも意見が出て、最終的に生徒の「総意」としての答えが出る。それに対して、先生は最後に解説をするのだ。
  こういう、「自己決定」のプロセスを、コスタリカの子どもたちはひたすら繰り返して大人になる。だから、「何か問題があっても話し合いで解決すればいい。そこで暴力を使う理由はなにもない」と思うような人間が育っていくのだ。

 ひるがえって日本の学校ではどうか。私は幸いに、そういった学校で自己決定することを体験的に学ぶことができたが、多くの学校では、自分たちのことを自分たちで決定する機会をほとんど与えられていない。むしろ、先生が決めたことに従わなければ「ならない」とされている。
  こういった抑圧的な態度に、子どもたちは自らを重ね合わせてしまう。大人の世界とはそういうものだ、と体験的に感じてしまった彼ら(私たち)は、抑圧を避けるために自分の意見を言わないようになってしまうし、ほかの人に対しては、自分が抑圧する側=人より上に立とうとしてしまうことにもなる。それは、現在の日本社会の縮図とも言えよう。

 このほかにも、非暴力の強さを実際に見せつけてくれた先生もいた。
  あるとき、その先生の授業で、一人の生徒が先生に向かって暴力を振るおうとした。なぜそういう事態になったのかは思い出せないのだが、ともかくその生徒は先生のほうに向かって、チョークを投げたりしながら、近づいていった。先生は、口調は厳しく、しかし決して手を出さずに、「やめないか!」とだけ言いながら、その生徒から目を離さずに、チョークをよけつつも生徒に立ちはだかった。
  やがて、生徒が先生を押しているはずが、気がついたら生徒のほうが押される格好になり、教室をぐるっと一周する形でその生徒は気おされた挙句、自分の席に戻ってきて、すとんと座ってしまった。そこで先生は初めて手を出した。殴るためではなく、握手をするためだ。生徒も、それに応じる形で、先生の手を握った。当時の私たちは手のつけられないやんちゃばかりではあったが、先生の出した手の意味をなんとなく理解し、自然と拍手が沸き起こった。
  非常に不思議な光景ではあったが、私たちやんちゃ坊主どもが、非暴力の強さを身をもって体験し、会得した瞬間だった。このとき、先生が暴力で対抗していたなら、卒業まで手のつけられない学級崩壊状態が続いていたかもしれない。

 こういった、中学時代の体験が、私をコスタリカに引き寄せたのかもしれない。これが本当の「体験型学習」だったな、と今になって思う。

(text by 足立力也)


HOMEプロフィール平和をつくる政治コスタリカ
イベント情報|へいわ本舗のご案内|サイトマップ
足立力也へいわ本舗

Copyright (C) 2004 Adachi Rikiya Heiwa Hompo All Rights Reserved