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足立力也へいわ本舗
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 >3.教育と子ども 〜平和をつくる教育〜(このページです)
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足立力也の「へいわをつくる」7つの理念
3.教育と子ども 〜平和をつくる教育〜

 教育の問題は、一朝一夕に答えがでるものではありません。ましてや、何か問題が起こった時に、付け焼き刃的に対応するだけで解決するものではありません。現在の教育政策は、朝令暮改の感があります。どっしりとした理念の土台が、教育行政では見られないと言っていいでしょう。教育基本法の理念は、教育行政の中では残念ながら活かされていません。
  もちろん、問題は教育基本法ではなく、現状にあります。現行の教育基本法は、理念法ですから、現在の教育がおかしいのは教育基本法のせいだ、という主張は、そもそも全くなりたちません。理念がおかしいというのであれば話は分かりますが、私はそうも思いません。

 今の教育の最も大きな問題は、「抑圧」だと考えます。授業でも、学校生活でも、子どもたちは常に抑圧され続けています。現在の教育を通じて、子どもたちは自分の意見を主張しない人間になっていきます。
  例えば、小学校低学年のクラスでは、先生の質問に対して子どもたちが元気に手をあげ、我先に答えようとしますが、中学年になると手を挙げる子どもの数は減り、高学年になるとほとんどいなくなってしまう。中学生になったころには、先生の質問には誰も答えなくなってしまった、というようなケースは全国各地に見られます。
  そうやって自分を肯定せず、押し殺していくことが、子どもまでストレス社会に巻き込まれてしまう現象の底にあります。

 その「抑圧」の問題を解決する概念は、「権利」です。残念ながら、現在の日本においては、子どもの権利はまったく保障されていない状態です。あげくに、国連にまで勧告を受けるありさまです。
  権利というものは、自分がそれを持っていることを知っていて、かついつでも行使できる状態であって、初めて意味を持ちます。日本では、子どもたちが独自の権利を持っていることを知らされているケースはごくわずかです。まずは、子どもの権利を彼らに知らせ、かつそれらの権利を行使できる環境をつくることが、教育の前提となります。

 教育の現場で重要となる概念は、民主主義、人権、環境など、現代社会を構成する基本的な価値観です。現在の教育現場では、これらの価値観を、授業の内容としては伝えても、実践が伴っていないケースが多々あります。
  民主主義は大切だと授業で教えても、生徒会に自治権はまったくなかったり、人権の大切さを同和授業で伝えながらも、まったく意味のない、厳しすぎる校則を生徒に押し付けたり…。こういった例は枚挙に暇がありません。
  まずは、子どもたちが持っている、愛されたり、安全な遊び場所が確保されていたり、安全な食べ物が確保されていたり、決定や実行のプロセスに参加が保障されていたり、自己決定をすることが保障されていたりする環境を、私たち大人がつくる必要があります。
  その上で、権利をどのように行使するのか、子どもたちが実際に抱える個々のケースに沿って、具体的に考えていかねばなりません。そのプロセスにおいても、当然子どもたちの自己決定や参加は保障されなければなりませんから、先生がすべての問題に対して「解答を与える」ということでは、結局抑圧の構造から抜け切れていないことになります。

 また、「自己決定権・参加の権利の不在」も、非常に大きな問題の根源となっていると考えます。子どもたちが参加を通じて自己決定をする機会を多く与えれば与えるほど、自ら社会を作っていこうとする積極的な人物になっていきます。
  また、その参加や決定のプロセスは、子どもたち自身の対話によって構成される必要があります。そのことで、子どもたちは「話し合いで物事を自分たちで決める」=民主主義というものを体験的に学ぶことになります。
  例えば算数の授業*1であっても、生徒に問いをなげかけたら、その答えは、まず生徒に決めてもらいます。生徒たち自身が対話し、合意をし、結論を出してもらうのです。先生はあくまでそれに補足をするか、出た結論が誤っていれば、どこがどう違うのかその時点で説明をすればよいのです。
 或いは、学校の美化に関して、先生たちが「掃除をしなさい」といくら言っても、先生の目の届かないところでは意味を持たなかったりします。が、自分たちで「いかにしたらきれいな環境の学校をつくれるか」ということを考えてもらい、決定してもらい、実行してもらえば、自主的に環境美化に取り組むようになります。
  こういったことから、平和的な問題解決や決定、実行、検証ということを積極的に行う「文化」が育つのです。子どもたちはストレスから解放され、かつ社会に積極的に参加する文化が子どもたちの中に生まれてくるでしょう。

 ここで、生徒が自発的・自主的に意見が出るようになるためには、生徒たちが「自己肯定」をしていなければ難しいという問題があります。
  抑圧的な構造では、抑圧する側の理論と自分の意見が合致していなければ、自分を肯定することができません。それでは、「民主主義」の基本である「対話」がなりたたなくなります。
  まずは、「私は誰にもおかされることのない存在なんだ」という、自己尊厳を持てる環境を作ることが肝要です。自己尊厳は、自己認識、自己評価、そして自己肯定といったプロセスから生まれます。自分が肉体的に、あるいは精神的にどんなものを持っていて、それを自分がどう受け止めるかを考えつつ、全体として自分自身の存在をよしとする、ということです。自己肯定をすることで、自分に対する尊厳を持てるようになります。そして、自分に尊厳を持つと言うことは他人への尊厳につながります。これが、平和の文化の基礎になるのです。

 こういったことを考えると、まず、現場の先生たちはある程度の自由裁量が認められなければなりません。先生たちが強制されている姿を見て子どもたちが育ってしまうと、やはりそこに「抑圧」が生まれるからです。
  そう考えると、当然、日の丸や君が代の「強制」は、思想信条の自由からしても問題ですが、教育的に非常に大きな悪影響を及ぼします。
  また、子どもたちは千差万別です。そこから出てくる意見や発言も、千差万別です。それに対応するのに、マニュアルなどはありません。ですから、そういった意味でも先生方の自由裁量が非常に重要になってきます。
  そうなると、まず、教育委員会の権限を低減させることが重要です。それから、教育指導要領を廃止し、変わりに「教育行動指針」を定めることを提案します。そこには、教育において重要視される上記の価値観、つまり民主主義・人権などに関する概念と、その達成のための、非暴力・対話などを基本とした手段を記します。それは、教科の内容だけでなく、授業の進め方から課外生活に至るまで、あらゆる先生方の行動指針として使われます。また、教師養成プログラムについても考え直す必要があります。

 クラス編成に関しては、20人から25人が適切だと考えますが、これは必ずしもあらゆる場面で少人数であることを意味しません。現在、現場の先生たちの負担は計り知れないものがあります。
  また、一度に把握できる人数というのは、私のツアーガイドの経験からすると、せいぜい20人です。それを考えると、一クラスの編成は20人から25人という数字が導き出されますが、しかしそれはあくまで大人の論理です。子どもにとっては、大人数で行ったほうがよい授業や課外活動もあります。子どもたちがいろんな人数の単位で行動する機会を作ることで、子どもたちの社会性をはぐくむことも容易になるでしょう。

 なお、私が考えている教育に関しての詳細は、拙著「平和をつくる教育」をごらんください。

(text by 足立力也)

*1:コスタリカの算数の授業についてはこちらで詳しく紹介しています。

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