平和とは何かを分かりやすく説明するために私が独自に考え出した図式が、この「平和の数直線」です。

平和の数直線

平和の数直線の見方

 前提として、以下のように考えます。

・平和の反対を仮に「暴力」という言葉で表現します。

・反対なので、両者の間には一本の直線(矢印)が引けます。

・数直線の右に行けば行くほど「より平和的」であり、左に行けば行くほど「より暴力的」だということを表します。

・平和にも暴力にも、「最大値」というものはありません。つまり、完全な平和も、完全な暴力も存在しないと考えます。

 まず、「完全な平和」は存在し得ないと考えます。たとえば、いくら満腹になっても時間が経てばお腹が空くように、一時的に満ち足りても時間が経てば不満を感じることがあります。また、誰かの幸せが誰かの不幸を意味する場合もあります。そういった「衝突」が100%ない状態というのは現実的ではありません。

 一方で、「完全な暴力」とはいうなれば「時間と空間の消滅」を意味するため、たとえ現実に起こり得たとしても、私たちがどうしようもないことですから、ここでは考えないことにします。

 以上が前提を前提とした上でこの数直線を見てみると、平和はいくつかの側面を持っていることが分かります。

点の平和と線の平和

 第一に、平和には「点」と「線」があることです。

・数直線上のある点は、「その時点でどのくらい平和(暴力的)な状態か」を表します。これを「点の平和(暴力)」と呼びます。これは、ある瞬間を切り取って、平和(暴力)の要素がその時点でどれくらいあるかを表すものです。

・数直線状のある点からある点の動きを「線の平和(暴力)」と呼びます。これは、その時点でどれくらい平和的(暴力的)であるかではなく、現時点から未来に向かって(あるいは過去から現在に向かって)、平和か暴力かどちらの方向にどれだけ向かっているか(ベクトル)を表します。

 たとえば、日本とコスタリカで「点の平和」を比べると、日本の方がはるかに平和だといえます。日本は豊かで、インフラも整備され、あらゆるものが揃っています。しかし、「線の平和」で比べると、日本はどんどん暴力の方向に引きずられている現状があります。コスタリカにもありますが、一方で平和の方向に引っ張っていこうとする強い力があります。コスタリカが平和だという場合、このことを指すと考えます。

消極的平和と積極的平和

 また、線の平和を考える際に、2つのパターンが考えられます。

 ひとつは、「戦争反対」「暴力反対」「差別反対」などというように、「暴力を否定する」動きです。

 もうひとつは、「幸福度の向上」「福祉の向上」「教育水準の向上」「自由度の向上」といった、「平和の要素そのものを肯定する」動きです。

 私は前者を消極的平和、後者を積極的平和と名付けています。

 ヨハン・ガルトゥング博士の定義では、積極的平和とは「構造的暴力がないこと」だとされています。これはやはり「悪いことを否定する」だけで、「よいことを創造する」ことが含まれていません。

 しかし、ガルトゥング博士はまた、平和構築において「よいことを創造する」ことの意味と重要性も説いています。それは、私がコスタリカで学び、体感した「コスタリカ人の平和観」とも合致するものです。そこで、私は概念を整理し直して、「悪いことをなくす」ことを「消極的平和」、「よいことを増やす」ことを「積極的平和」と名付けなおしました。

傾向と対策

 平和に近づきやすい要素と、暴力に近づきやすい要素があります。

 たとえば、肯定的な要素は平和に、否定的な要素は暴力に近づきやすい。生産的な要素は平和に、破壊的な要素は暴力に近づきやすい、水平的な構造は平和を、垂直的な構造は暴力を生みやすい。といった具合にです。

 ほかにどのようなものがあるか、考えてみましょう。

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